2010年4月25日日曜日

約束の地



約束の地

チャック・ベリーの<約束の地>を収録したアルバムがあります。
タイトルは「約束の地」。1975年1月にリリースされました。
シングル盤は、アルバムに先行して1974年10月にリリース。ヒットチャート14位にランキングされました。

録音は73年12月10日に「グッドタイムス」に収録された<フィーリン・イン・マイ・ボディ>と共に メンフィス・スタックスにてノリノリ、ギンギンスタイルで。


考えてみると、70年代に地位も前も確立し、円熟期に入った時期に、他人のヒットソングを、そのまま アルバム名にする「おおらかさ」は、いかがなものかと思います。
自分に自信があることは分かりますし、出来栄えも見事な傑作だと思います。
チャック・ベリーへの畏敬の念?理由は知りませんが、どう考えても不思議。
多分、気にしていなかったのでしょう。いずれにしても「スゴイ!」と思います。


 バージニア州はノーフォークの故郷を離れ
 目指すは一路カリフォルニア
 グレイハウンド(バス)に飛び乗りローリーを抜けて
 ノースカロライナ州を横切った

 アラバマ州も中程で
 エンジントラブル発生だ
 バスの故障で立往生だよ
 バーミンガムのダウンタウンで

 汽車の切符をすぐさま買った
 ミシシッピー州を横断するヤツさ
 バーミンガムから夜行に乗って
 ニューオーリンズヘまっしぐら
 ルイジアナ州から出るのに手を貸して
 ヒューストン(テキサス州)まで行きたいんだ
 そこにはオイラを大事に思い
 歓迎してくれる人たちが住んでいる

 着くやいなやシルクのスーツに
 スーツケースまで持たせてくれて
 気がついたらアルバカーキー(ニューメキシコ州)の上空を
 ジェット機で約東の地へと向ってた

 ★Tボーンステーキ・アラカルトに食らいつきなから
 ゴールデン・ステート(ヵリフォルニァ州のあだ名〕ヘー飛び
 ちょうどその時パイロットが言ったよ
 あと13分でゲートに到着しますと

 ☆着陸寸前、ゆっくり降りろよ
 ターミナル・ビルまで滑るように走れ
 エンジン切ったら翼を冷ましな
 そしてオイラに電話をさせとくれ

 ◆ロサンゼルスの交換台、バージニア州はノーフォーク
 8433・928・374の1009につないでおくれ
 故郷のみんなに伝えて、約束の地にいる
 貧乏人の男からだと

 くり返し★

 くり返し☆

 くり返し◆

       
                  川越由佳氏 翻訳           
 BMGファンハウス
 「ロックンロール / エルヴィス・プレスリー」(BVCM-31035)より



 
ロックンロールの登場は事件でした。
エルヴィスに与えられたキング・オブ・ロックンロールの称号は、その圧倒的な存在感への畏敬の念に他なりません。

ロックンロールはテネシー州メンフィスのサン・スタジオで生まれました。
「異論あり」の声は当然あるでしょうが、ルーツはともかく、ロックンロールは白人ゆえの音楽です。
でも白人の音楽という意味ではありません。

Wop-bop-a-loom-bop-a-lop-bam-boom
Tutti frutti,ah rutti
Tutti frutti,ah rutti

リトル・リチャードの<トゥッティ・フルッティ>、エルヴィスの<トゥッティ・フルッティ>、パット・ブーンの<トゥッティ・フルッティ>は、いくら当人らが同じものだと主張しても、別物にしかならないでしょう。

 
すべての音楽が人種で切り分けられるほど単純でないことは、1956年のアメリカ映画と2005年のアメリカ映画を比較すれば分かります。
肌の違いはあっても、人はそれぞれに、文化的にも、肉体的にも、地理的にも、
たっぷり時間をかけてゆるやかに変化し続けてきたのであって、同時に未来を示唆しています。

ロックンロールもそのひとつで、ロックンロールはテネシー州メンフィスのサン・スタジオで生まれました。
ロックンロールの原型になり得る、白人で、ありながら黒人なみの生活環境で育つしかなかったエルヴィス・プレスリーという男の身体に凝縮された心の自然な発露があったからです。
ビル・ヘイリーの<ロックアラウンド・ザ・クロック>などもありましたが、パーフォーマンスが本質的に違いがることは明白です。

つまりエルヴィス登場は社会の必然でした。
それゆえ社会は、エルヴィスを事件として受け入れる以外にありませんでした。
アメリカに誕生したロックンロールが死んだのは、エルヴィスがエド・サリバンのTVショーに三度目の出演を果たし、<谷間の静けさ>を歌った日のこと。まるで、逆踏み絵のように。
 

時を同じくして、数人のロッカーたちが消えました。
残ったのは軍隊に入れられたエルヴィスと、監獄に入れられたチャック・ベリーだけ。
ゆるやかな歴史の断片のひとつは引き出しにしまいこまれました。
特に日本人はその引きだしをあけようとはしないようです。 

エルヴィスは、批判されても、称賛されても、事件の当事者そのものでしたが、
「キング・オブ・ロックンロール」という巨大なポップ・アイコンになりました。
 
同時に、音楽的ジャンルに関係なくエルヴィスが歌うものは、すべて「キング・オブ・ロックンロールのロック」になりました。
自分のカヴァーあるいはパロディを演じることでしか、エルヴィス・プレスリーを続けることは不可能になったのです。
その点で、エルビス映画は特に際立ったもので、すごくユニークな素材です。
情念の後始末を10年間もしているエルヴィスの姿は、ストーリー、風光明媚なロケ地、サーキット場、セクシーな女の子より、はるかに劇的です。
 
ロックンロールの死から数年、まるで騒乱罪で映画に収監されたキングに代わるかのように”遅れてきたロックンローラー”ビーチ・ボーイズが、本当に入獄したチャック・ベリーのイントロを借用して、サーフィン・ミュージックをヒットさせました。
ポップス新世代の活躍が始まりました。

アメリカの女の子は、「エルヴィスは死んだ」とプラカードを持ってビートルズを迎えました。
彼女たちが念を押さずとも、すでに「ロックンロール」は墓の中でした。
それにしても、ビートルズはロックバンドだったのでしょうか?

1964年、相変わらず、エルヴィスは「キング・オブ・ロックンロールのロック」を歌っていました。
ロックンロールは再定義されることが必要でした。
そして遅れてきた評論家によって、遅れてきたロックンロールがベトナムの戦火で焼き直され、再定義されました。
ロックンロールは遠く離れたアジアから響いてくる機関銃の轟音にかき消されない電気仕掛けの蛙のような気がします。
土に落とした涙と共にあったロックンロールは、電気コードが入り乱れたスタジオの中に移動しました。