2015年5月8日金曜日

偉大なるかな神 / How Great Thou Art




偉大なるかな神 / 
     How Great Thou Art


▪️エルヴィスの真実

エルヴィス・プレスリーとは何者か?
言わずと知れた、キング・オブ・ロックンロール。

しかし、いまではエルヴィス・プレスリーを評価しない人が増えている。その理由はエルヴィスがバラード、ゴスペルに傾倒していったことと関係しています。さらに、エルヴィスがカバーに専念したことをあげる。特に70年代にオーディエンスを前にするようになってからは確かに著しい。

これに先立って、エルヴィスはこれからは好きな曲を好きなように歌うと宣言しています。ライブ活動に本格的に復活した時のコメントです。

これには、アメリカ音楽の在り方があります。

時代はシンガー・ソングライターが全盛。しかしエルヴィス・プレスリーには興味が全くありませんでした。

これには理由があります。

エルヴィスの心のふるさと、生きるための心のふるさと。それは黒人の福音教会。貧しい家庭に生まれ、黒人居住区に住む白人家庭で育ち、信仰深い母親のもとで成長しました。教会に行くのは当然の行為ですが、そこでエルヴィスは黒人の歌うゴスペルに出会います。
「エルヴィスは教会で魂で歌うトレーニングを受け、ロックンロールを誕生させ、世界最大の芸人あるいはアーティストになった。」これがエルヴィスの真実です。



▪️「カバーこそやりがい」のルーツは教会にあった。

パフォーマーと聴衆は、フィーリングを共有し、パフォーマンスを共有する。これがゴスペルです。そこでは共感しやすい歌詞の下りでは全身全霊で聴衆を挑発をし歓喜に導き熱狂させる。

歓喜に導く競争に勝つ、それがゴズペルシンガーの仕事です。
彼らはそこで全身全霊を懸けて、誰が一番か。競争します

エルヴィスは幼い頃から、それを見て、聴いて、育ちました。
そして、自分は(同じ曲を)他者と違うように、何でも歌える。と信じてサンレコードのインタビューを受け、強い記憶を残しました。これがシンガーになるきっかけとなり、言った通りのことをして、ありきたりなカントリーを聴いたことのないロカビリーに仕上げました。

これがエルヴィス・プレスリーの出発点になり、スタイルになりました。

つまりカバーこそエルヴィスのやりがいなのです。


自分が身体に取り込んだ歌をあらゆる手段を使って聴衆の身体に忍び込ませる。何度も挑発し、やがて歓喜にたどりつくまで、叫ばせる。そして失神させる。

エルヴィスがやってのけたパフォーマンスの世界観はロックとゴスペルではそっくり似ています。ゴスペルに魂の扱い方をトレーニングされた、エルヴィスが作った世界なので、似ていて当然です。

ゴスペルの雰囲気をロックにして白人社会に持ち込んだのはエルヴィスです。エルヴィスに先立って発表されたロック第一作と言われる<ロック・アラウンド・ザ・ロック>は、そのサウンド聴けばわかるように、ロカビリーでもロックンロールでもありません。エルヴィス登場前の人気ビッグバンド、グレン・ミラーのようで歌詞こそ、ロックですが、幼い恋人たちの歌のようです。R&Bに親しんでいる黒人にしたらお笑い草だったでしょう。これに目をつけたのがチャック・ベリーでなかったでしょうか?彼は黒人ながらも黒人世界にはないだろう白人の世界を歌ってみせました。


どんな歌詞でも誰の人生にもはまるようにするのは、ゴスペルで学んだことです。そこで聴衆は歓喜します。

しかしエルヴィスはこのレベルを超えます。歌詞の意味を必要としないまでに成長したのです。

皆無なまでに自由がなく、人間として扱われることなかった奴隷制の苦しみの中から黒人奴隷たちが生み出した歌曲が「ニグロ・スピリチュアル」(The Negro Spirituals)です。スピリチュアルとは、聖なる神を感じるという意味で、奴隷制度を巡って戦った南北戦争以前の奴隷制時代に、神を感じた時に黒人奴隷たちが歌っていたものです。

特に南部では、白人がキリスト教を黒人に布教しました。もちろん奴隷を従順にさせ、意欲的に作業に従事させるためです。現世では辛いことが多いかも知れないが、奴隷主の言うことを聞いて、尽くせば、必ず来世では自由になり、恵まれた人生が送れるというものです。さらに作業に従事する時は、奴隷たちはそこにいることを証明する意味で声を出すこと、いわゆる合いの手を要求されました。これが後述する「コール&レスポンス」の基礎です。

また、アカベラもそうです。太鼓(ドラム)がそのリズムによって、奴隷間のメッセージになることを恐れた奴隷主たちが使用を禁じたために、アカベラが基礎になりました。

そして楽器を使用できない彼らがリズムをとるために自らの身体を動かすことで身体を楽器にしたのです。もうおわかりですね。エルヴィスのすべてがゴスペルにあります。

そんな歌曲ですから、奴隷たちが歌っていたという理由で、奴隷でなかった黒人も含めて、関心を寄せられることはなかったようです。

やがてスピリチュアルは、黒人が歌う「ニグロ・スピリチュアル」と白人が歌う「ホワイト・スピリチュアル」に分類されるようになりますが、この頃には芸術的な価値を持つようになり、ゴスペルと呼ばれるようになります。

ゴスペルを決定づけるのは、先に説明した「コール&レスポンス」と言われるスタイルの歌い方にあります。作業に従事する時は、奴隷たちはそこにいることを証明する意味で声を出すこ合いの手でしたが、歌い手である黒人奴隷たちによって自然に意味が変わっていきました。そこに生への希求が輝いています。

これはスピリチュアル、ゴスペルが”私(I)”で表現されることと関連していて、黒人の音楽が”コミュニティ”の機能を持っていることを暗示しています。

つまりソロで歌う者が”私(I)”とコールし、コーラスがレスポンスすることで、”私(I)”は”私たち”に変わるのです。ソロが歌う「私の気持ち」は、「あなただけではない私も同じ」と言っているように変化します。しかもそれが神に向かって歌われるので、個人の痛みは私を超えてコミュニティの勇気に変化していきます。これこそが
ゴスペルの魔法なのです。さらにアカベラと、楽器を使用できない彼らが自らの身体を動かすことで楽器にしたのです。

繰り返しますが、ゴスペルには、エルヴィス・ロカビリーの原点となる要素が揃っているのが分かります。

楽しくて歌うのではありません。悲しくてやりきれなくて、地獄の蓋が開いているように見える時に歌うのです。個人的な悲しみが、解決されることはありませんが、個人の悲しみをみんなの悲しみとして共有することで、それを喜びに変えていくのです。これ以上ない悲しい状態で生まれた命が煌めく歌曲、パフォーマンスが、スピリチュアル、ゴスペルの魔法です。


許された表現は肉体と感情だけしかなかったと言っても過言ではありません。
だから、エルヴィスの歌声に言葉は関係なく、世界中の誰にも伝わりました。エルヴィスの魔法が世界的な支持を受けたのは当然だったのです。

ゴスペルが教会をひとかたまりにして熱狂させてしまうように、エルヴィスはコンサート会場でやってのけました。白人の男の子、女の子には未知の体験でした。この神がかりなステージを嫌悪した白人社会の一部は、エルヴィスに対し身体を動かすことをわいせつ行為として、身体を動かすと即逮捕するという命令を下しますが、対抗したエルヴィスは指一本で挑発し、歓喜にたどりつくまで、叫ばせ、失神させたのです。

これこそ教会音楽で魂のトレーニングを受けて育ったエルヴィスの芸術でした。

「君は君のままでいいんだよ!」エルヴィスのコールに対し、「そうか!俺たちは、俺たちのままでいいんだ!」ジョンが、ポールが、ボブが、ブルースが、キースが、レスポンスしたのです。壮大なロック・シンフォニーの始まりです。

痛みの共有と自身の解放。

以来、満開の花びらが風に散り、吹き飛ばされるように世界に飛び散った、ロック・スピリチュアル誕生の瞬間です。



▪️ビートルズとエルヴィスの決定的な違い

ジョン・レノンが「エルヴィス以前になにもなかった」と言ったのは彼の真実です。

エルヴィス・プレスリーが「僕のルーツはゴスペルにある」と言ったのもエルヴィスの真実です。

有名なロックミュージシャン(グループ)でブルースに敬意を表していないのは、ビートルズだけだ。という声がアメリカにはあります。確かに彼らの残したものを聴いてもローリング・ストーンズがブルースに畏敬の念を抱き続ける姿勢とは全く違いました。ポールマッカートニーがいまも音楽小僧であり続け、サンスタジオを愛する姿を見ても、ビートルズの分裂は仕方のないことだったのでしょう。

また軍隊から帰還してからのエルヴィスの活動に対して批判的なレノンの心情が浮かんでくるように思います。レノンもポールも同じ思いを持ちながら、父親との確執が拭いきれなかったネガティブな意識の強いレノンには反動形成として批判的になっても仕方のないことだったかも知れません。ジョン・レノンのはじまりはエルヴィスだったので、ブルースに傾倒しなくても当然だったかも知れません。

いまデビューするパフォーマーの出発点が、すでにビートルズですらないように。

それにしても、いまも受け継がれるシャウトの原点は教会にあります。それを伝え続けているのが、ローリング・ストーンズです。


エルヴィスにとって、そのもっとも代表的な楽曲のひとつが<アメージング・グレイス>です。

そこでは群衆のヒステリー的な熱狂があります。






▪️歌詞でしか理解できない若者たち

霊について語るとき、それは世界のミステリーです。
神秘を体内に取り込んだパフォーマーは、自分を通して聴衆の体内に送り込みます。これこそゴスペルの神業です。

エルヴィスは<アメージング・グレイス>も歌っていますが、<偉大なるかな神>にその本領を発揮しています。メンフィスライブでのそれをどう聴けばいいのでしょう。

エルヴィスはエンディングを迎え絶叫し、静寂を迎えます。最高の力がみなぎる瞬間です。霊が降臨する瞬間です。聴衆が歓喜に身震いした、そのわずかな瞬間に霊はエルヴィスに宿り、この一瞬のコミュニケーションで会場をひとまとめにしてから、絶叫で静寂を破り、観客は自らの絶叫とともに開放感に浸ります。

エルヴィスは自分の魂を救うためにやってきて、自分のやり方で歌い演奏する。あなたに向かって、隣に立って、聴くものを陶酔させる。

これがエルヴィス・プレスリーの仕事でした。

身震いするそれは、いまでもメンフィスのエルヴィス・ウィークに赴けば体験できます。

<アメージング・グレイス>は、世界中で愛されている曲ですが、険しい山を登ってきた人のための歌で、誰でもが歌える曲ではありません。厳しい試練を受けていない若い世代は彼らの親のようには歌えません。

歌詞で理解するしかないのです。

それを武器のようにして成功したのがボブ・ディランです。ボブ・ディランは、ロックンロールに慣れ親しんだ人に支持されて人気を得た最初のパフォーマーですが、その理由は彼の歌詞を理解できるレベルの高さで聴き手が自分の成長を感じられたからです。リスナーの年齢と深くコミットメントしていて、まさにそのタイミングによって神聖化されました。彼らはボーイ・ミーツ・ガールのショボい歌詞に自分の成長を見出すことはできませんでした。

この世代の成長によって、エルヴィスはその座を、ボブ・ディランやビートルズに譲ります。ビートルズは上手にマネジメントされたグループだったので、そのタイミングを逃しませんでした。解散後に迂用曲折あって発表された<イマジン>はそのプロセスで生まれた傑作だったと言えるでしょう。


この移ろいのなかで、エルヴィスはオリジナル曲<明日への願い>を世に出します。パフォーマンスは文句のつけようがありませんでしたが、自分で違和感があったのかも知れません。<イン・ザ・ゲットー>を最後にプロテストソングには手を出さなくなります。

エルヴィスは歌詞ではなく、どんな歌詞でも誰の人生にもはまるようにする歌うことを本分とするやり方をライブに求めるようになります。これこそエルヴィス・プレスリーの完全復活でした。

それは十字架に磔られたイエスの復活、再臨に似ています。天に昇ったイエス・キリストが世界終末の日に、人々を天へ導き入れるため、再び地上に降りてきかのように、エルヴィスはライブを繰り返します。そこでは、身体に取り込んだ歌をあらゆる手段を使って聴取の身体に忍び込ませるパフォーマンスを繰り返します。自身は神であるかのように、自身も聴衆もひとつになり、絶叫と陶酔を繰り返したのです。




▪️エルヴィス・プレスリーとは何者か?



ゴスペルのトレーニングを受けたゴスペルの申し子にして、遥か超えた存在。

エルヴィスは「自分が死んだら、遺したものの中から、最良の曲を聴いてほしい」と言い残しています。

その最良は数知れず、どんな歌詞でも誰の人生にもはまるようにして、歓喜に導く競争に勝ち続けています。


しかし、時代はこれを受け入れず、魂よりも言葉を選んでいます。向こう両三軒隣にいても、愛する人の心の動きが、わかる能力を失っていっているからです。コミュニティ崩壊という姿で私たちの目の前に広がっています。





2015年5月5日火曜日

君に夢中さ/I’ve Got A Thing About You Baby



君に夢中さ/
I’ve Got A Thing About You Baby

ルヴイス・プレスリー1974年初頭にヒットさせた曲。

1974年1月に、<涙で祈る幸せ>をB面にしてリリースされ、最初は<君に夢中さ>がヒットチャートをかけのぼりカントリーチャートで4位、遅れて3月に<涙で祈る幸せ>が追いかける形で両面ヒットになりました。

「ワークス・オブ・エルヴィス」には次のように紹介されいます。トニー・ジョー・ホワイト作詞・作曲彼が72年リリースのアルバムThe Train I'm On』中で発表同じ年にサン・ロカビリー・アーテイストとして、今もロカビリー・キズからは注目されているピリー・ライリーがシンル・カトしHOT100で92位を記録

ルヴイスはコーラスを加えて、ぐっとレイジーなタッチでダウン・トゥー・アースなムードで歌っている。ジェントルな雰囲気の中にしかりと南部魂が根ざしているカントリー・チャートで4 位、イージーリスニング・チートで27位を記録なお、A 、B面ともオーケストラ/ オーバー・ダブは73年9月28日ナッシュビル/RCAで行われた。



「down-to-earth」とは「現実的な」という意味で使われますが、この場合は気負いがなく淡々という意味に受け取っていただくといいでしょう。

たとえばトニー・ジョー・ホワイトの作品には、あの<ポーク・サラダ・アニー>がありますが、全く違う印象を受けます。

<君に夢中さ>というタイトルからすると淡々ぶりは違和感がありますが、そこが魅力にもなっています。女性コーラスとピアノが味付けをしています。

君に伝えたいことがある。
知っておいてほしいことがあるんだ。
ベイビー、ずっと前から君を
見つめ続けてきたんだよ、
いまやっと勇気が湧いて
告白する気になったんだ。
とても難しいことだから
僕をくじかないでおくれ。

君に夢中さ、ベイビー

どうすることもできないよ
君に夢中さ、ベイビー
愛しているんだよ

ここには書いていませんが、曲の後半には、手玉にとられて降参状態の男の心情と、見透かした女性の女ごころが歌われ、その先にある幸福への期待が歌われます。

50年代、60年代にはコミカルに歌っていた内容が、淡々と歌うことで、恋の駆け引きを経験した男の心情が伝わってきます。もう、そんなことどうでもいいんだ。だって僕はこんなにも真剣に君を想っているんだから。という一途が響いてきます。


トニー・ジョー・ホワイトは、<ポーク・サラダ・アニー>の作品。本人が歌っていましたが、あこがれのエルヴィスに取り上げられ大ヒット。トニー・ジョー・ホワイトはソングライターとしても名声を得ることになりました。